「宗教」を感じながら生活する事の大切さ。

最近読んだ本で特に印象に残っている本が1冊あります。 上記のような教養に関する書籍は図書館で借りることが基本です。 これには理由が2つあって、1つはこの手の題材は価格が高めなので少し手が出しにくい為。 もう一点は、例えば本屋もしくはAmazonで購入するにしても、 果たしてその本が魅力的な内容かが予測し辛いことがあります。 例えば自己啓発本とか語学本等のレビューって、割と信憑性があると思います。 要するに、内容を理解できた上での自分なりの考察として他者が判断できると言えるのかと。 然しながら、宗教や哲学等高い知的水準が求められる内容に関しては必ずしも信用できる評価では無いと。 それであれば、図書館という無料の知の宝庫(僕はそう呼んでいます。)に置かれているということは 全くの駄作ではないのだろうと考えられますし、ぶっちゃけ面白くなかったら読まなければいいと笑   で、この書籍の個人的な感想は「宗教って本当に知らないことだらけ!」です。 例えば、現在のキリスト教はもともとユダヤ教が原点であることや日本の神道は政治イデオロギーであるという現実。 仏教は仏になるための教えであるのに対して、キリスト教はキリストになる為ではないという決定的な差異も心に強く残りました。 ただ、まず大前提として宗教は知る事ではなく、日々身近に感じて生活することこそ大切なことだと思うわけです。 日本の仏教は所謂葬式仏教と揶揄されるほど地に落ちてしまっていますが、本来の仏教は「少欲知是」と言われるように、 生きていく過程で必要以上の欲を持たず、敬虔に生きることを追求した教えだったわけで、 果たして今の日本人は名ばかりの、いやそれにも値しない仏教徒と言わざるを得ないのが苦しいところです。 ただ、仏壇にお供え物をして手を合わせて故人を偲ぶ習慣は、個人的には貴重な行為だと思います。 本来の仏教観からすれば無意味な行為なのかもしれませんが、ご先祖を大切に感じて生きることは良いと思っています。   また、神道に関しても、国家神道は昭和天皇を現人神と見なしており、そもそもの宗教の立ち位置に完全に反しています。 「政教分離」を完全に逸脱することの危険性はまさに今のISを見れば分かる事です。 当時の日本をISと同列に捉えるつもりは決してないですが、「宗教」という1つの頂点を基に纏まる集合体は 時として想像以上の破壊力を持ち合わせてしまうことは理解しなくてはならないと感じています。   一方で民衆神道という元来のあらゆる物に神を感じる自然崇拝観は今の日本人にも残っていると感じます。 西洋のように害虫は駆除、雑草は引き抜くという人間による白と黒のいわば独善的な思考様式ではなく、 草むらに生えている名前の分からない草に対しても何となく愛らしさを覚えたりする「アニミズム(精霊崇拝)」こそ これからも持ち続けたい日本人的宗教観なのかなと個人的には思います。   僕自身、例えば部屋に蜘蛛がいてもそのままスルーしますし、あれはあれで頑張って生きているんだなと思うわけです。 こんな汚い部屋に入って大変やなと思いながらそのまま寝ます笑 だからなんだって話ですが、別に直接害があるわけじゃない虫をわざわざ殺す意味を感じないわけです。 こういう話をしてしまうと、ゴキブリとか蜂とかハエとかどう捉えるかきりがないのですが、 僕個人的に言うならば、彼らも死にたくて出てきているわけじゃなく、何かしら人間側からのアプローチに反応したに 過ぎないと思います。ゴキブリでいえば、食べ残し、ハチであれば、ハチ駆除や不必要に近寄る行為等…。 だからと言って全く殺生しないで生きるなんて暴言はできるわけないわけで、そうすると水しか飲めなくなりますね。 なので、言葉にするのは難しいですが、食べる野菜や肉にも感謝をして生きていく気持ち、これも神道の視点からすれば 立派な宗教的行為だと思っている次第です。   外国人がこれからも間違いなく増えてくる日本において、親しくなった時のマナーとして最低限の宗教的知見は必要です。 まずは「無宗教」に染まってしまっている考え方を覆すことから始めなければならないかもしれませんね。   編集後記:今日はこれから回天顕彰会の1年間の反省会+飲み会です。 当時の回天烈士がどのような気持ちで戦場に旅立ったのかは推し量る余地もありませんが、 自分の意志で決断して実行したであろう彼らの想いをこれからも受け継いでいかなければならないと思います。 明日は何の予定もないので、今日も馬鹿みたいに飲もうと思います笑