コミュニティに所属する意義

人は生きていく上で何かしらのコミュニティに所属して生きています。 会社員であれば会社というコミュニティがまず挙げられますし、 休日はサッカー部に入っていればそれも立派なコミュニティですよね。 様々な立場や考えの方々と関わることにより、言葉では表せない程多くのことを 学ぶことができるのではないかと考えています。   かくいう僕は現在個人事業主という立場故に、極端に言えば コミュニティに所属せずに、人と関わらずに生活することも 物理的には可能であるのが正直なところです。 それは僕のビジネス(に値しませんが…)がインターネットありきである為です。 だからこそ(かは分かりませんが)現在進行形及びオフライン団体を前提として 意外と多くのコミュニティに所属していると感じます。具体的に上げてみますと、   山口県中小企業経営者協会   回転顕彰会   ボーイスカウト徳山第1団   光クラブ(ラグビー部)   下松市観光協会   某ゴルフ場(バイト先として)   敢えてバイト先を入れたのは、ここでも多くのことを学んでいるからです。 僕のコミュニティに対する基準は、何かを学ぶことができるかどうかということです。 単なる飲みサークルには全く興味もわきませんし、誤解を恐れずに言えば 例えば読書会とか異業種交流会的なのも必ずしも学べる環境であるとは言い切れないと思っています。 入ってみたはいいけれど、現存のリーダーやその周囲ばかりが張り切って、下々は大してすることがない、 あるいはそもそもモチベーションが低い団体で活動もろくにしていないというのではお話にならないですよね。   なので、実を言うとここ数年来別のコミュニティに所属していた時期もありましたが、 暫くして脱退した団体もいくつかあります。 特に後悔してませんし、逆の意味でwin-winなのではないかなと思っています。   ちなみに光クラブは3年ぶりに出戻りで(笑)来月から公式戦が始まります!   有意義なコミュニティであればずっと参加し続けるのがベストな選択だとは思いますが、 転勤や結婚等環境の変化によってそれが難しくなることも仕方がないことだと思います。 それでも、その「学び舎」で得た経験や知識は自分自身の生き方の布石になることは間違いないですし、 いつかまた参加できる時を楽しみに過ごすことも素敵な事なのかもしれませんね。   とある筋を通じて、今月から英会話の講師を務めることになり、コミュニティが一つ増えることになります。 これまでと決定的に違うのが、言い方に語弊があるかもしれませんが、自分主導であるということです。 勿論、習う側の意向に沿うことは当然ながら、ある程度の方向性を僕が定めることにはなるわけで、 最大目的である各人の英会話レベルを高めることに集中していければと思っています。   編集後記:   今日近くのマックスバリュで買い物をしていて印象的なことがありました。 奇声に近い大声をあげてでていくオバタリアンと近くにいたしょげている女子中学生。 その時は状況が読めませんでしたが、どうやらおばさんが中学生にぶつかっただかで 頭を打ったような雰囲気だと分かりました。 その後、子供はずっと店内に立っていて親御さんを待っているようでした。 僕は買い物を終えて駐車場を歩いていると、店舗の店長らしきひとと女性が そのオバンと話をしているというか、そのオバンが言い訳かよく分かりませんが ごちゃごちゃ言っている姿を横目に車に乗り込み帰りました。   ふと思い出したのが、丁度一年前、生前の母が父とサンリブに入院前の買い物に出かけた際の話です。 当時から歩くのも少ししんどかった母は、太り気味のおばさんにぶつかられて転んでしまいました。 その後、店舗側はその人間を追うこともなく、店内の責任は負いかねるという回答をしてきました。 大きなたんこぶができていてとても痛そうでしたが、病院は面倒だし大事にしなくて良いという本人の意向で 警察にも申し出をしないままで終わりました。   結局サンリブ側は菓子折り1つ持ってきただけで謝罪にも値しない対応だったわけで、 言うまでもなく僕は永遠にこの企業で買い物をすることはないでしょう。 愚痴を書いても仕方ないので本質を突きますが、企業体質の差が大きく出た一件だと思いませんか? 方や当事者を追わないのはおろか、防犯カメラを見ることもせず、責任すら追わない。 一方マックスバリュの担当者はきちんとオバンを追いかけて、話をきちんと進めようとする姿。   殊更に悪口を書いてネガティブキャンペーンをしたところで誰も得ではないですが、 こういうところで組織及び人としての質が出ることだけは読者の皆様にご理解頂けると思っています。 そして、僕はサンリブさんのような企業が今後も生き残るようでは日本は大丈夫かなと危惧しています。 他人に対しては勿論、自分に嘘をつかない生き方をできる人間がこれ以上減らないことだけを願っています。