人の命の儚さ、癌治療の重さ

普段から個人的な内容を多く書く傾向がありますが、この内容を書くかは正直迷っていました。   私の母が先月末上咽頭癌にて逝去しました。65歳という決して長くは無い人生でした。 今年の1月にその病名が発覚してからたった9ヶ月。 その数字だけみても決して長いものではないですが、最期は本当にあっと言う間でした。 あまり詳細な内容を書くのも憚られるので適当に端折りますが、 ステージ3からすると、少なくとも1年以内の余命では無かったと思います。 然しながら、本人自身の免疫力、言い換えれば癌に打ち勝つ体力が不足していたということと 今の西洋医療の所謂悪い箇所をとにかく叩くことしかできないという限界がこの結果だと思います。   今回は僕が普段から敵視する上述の西洋医療をどうこう言うつもりはありません。 無論今もその考えは変わるどころか更に強いものになっています。 ただ、担当医が亡くなった母を見て涙を流している姿を見たことにより、 彼らも人間であり完璧ではなく、単に西洋医療の掌の上にいる存在に過ぎない。 突き詰めれば、安易に西洋医療を盲信する我々にも原因があると今は思っています。   勿論、母の病気を改善するために普通とは違う行動を取りました。 鼻の癌と言うのは余程のことが無い限り外科手術は難しいです。 そりゃそうですよね。鼻がえぐれるなんてこと100人いて誰が同意できるでしょうか? それでも助かりたいという人がいるかもしれませんが、病院側もビジネス。 後からクレームがつくことを予見して、基本スタンスは放射線+抗がん剤。   この一般的治療を僕を中心に拒否をしました。 そもそも僕の母は体重が30kgしか無く、そのような激しい治療に耐えられる体ではない。 仮に耐えられたとしても後の後遺症に悩まされるのが目に見えている。 代わりに取った方法はサイバーナイフというロボット治療です。 基本的には放射線治療と同じですが、とにかく癌付近に放射線を浴びせる前者と異なり、 癌原発部位のみを叩く治療がそれです。   無論、僕が住む山口県にはそれに適応する病院は無く(本当はあるのですが役不足)、 最終的に愛知県の病院に10時間掛けて運転して行ったのを懐かしくすら思います。 結果的に治療自体は3月に終わり、最近まではその予後を確かめている日々でした。   それが8月頃から頭痛が酷いという声を良く利くようになりました。 サイバーナイフの後遺症に頭痛もあり、暫くすればよくなるものと思い込んでいました。 ところが、担当医の所見によるとサイバーナイフを当てた箇所が壊死していることが頭痛の原因であるとのこと。 更に、その横の部位に新たに再発が見られるという話まで出てしまったわけです。   正直なところ、頭痛があるとはいえある程度の日常生活が送れていたこともあり、僕達家族もそこまで重く考えていませんでした。 確かに頭痛薬は徐々に強いものになっていたことはありましたが、担当医の話だと徐々にその壊死は落ち着いて頭痛も和らぐ可能性が高い。 その言葉を鵜呑みにしていた、言い方を変えれば少し楽観的になっていたところがあります。   それが9月最終週の土曜日から突然母親が完全な寝たきりになりました。 呼びかけても反応は薄く、殆ど寝ている状態。先週まで会話が出来ていたので驚きました。 ただ、生前から病院をとにかく嫌う母で、入院しようというと絶対に嫌という返答をする始末。 病院がとにかく嫌いということは、理由は違えどその血を継いでいるなと今更ながら思います。   ただ、それでもまさか今すぐに最悪の結末が起きることは無いと思ってしまっていた僕は、 漢方薬を5万円分買いに行きました。とにかく少しでも栄養をつけて欲しいという一心でした。 実はそれまでも大麻ベースのオイルや漢方を購入していたのですが、先日部屋を片付けたら残がかなりありました。 果たして効果があったのかは全く分かりませんが、切ない気持ちになったのは言うまでもありません。   そして9/29。所属する回天顕彰会の打ち合わせで朝だけ出ていたのですが、10時頃父からTEL。 「お母さんの脈が無い。どうしよう。」と。 直ぐに救急車を呼ぶように伝え、僕は母の母、つまり僕の祖母が入居する施設に病院へ来るように依頼しました。 あの当時、自分でも意外な程冷静に現実を受け止めていたのだなと思います。   僕自身、東京のそれなりの大学を出て、そこそこの大企業に入り、そのまま勤めていれば恐らく海外勤務に行っていたでしょう。 事実、僕の親友は昨年、今年と海外へ旅立っています。 僕がその企業を退職したのが2008年ですが、数年前から母は骨粗鬆を煩うことになり、僕の心配の種でした。 1人っ子であり、東京という水の合わない土地にいるよりは地元へ帰って親孝行をしたいという思いでした。   2010年からは完全に実家に帰り地元の企業に勤め、去年から個人事業として働きつつ母親の御用聞きをしていたのですが、 果たして母は少しは嬉しい気持ちでいてくれたのかなと思います。 結局死に目にも会えなかったこともあり、僕としては本当に母の気持ちになってあげられていたのか未だに分かりません。 「頭が痛い、ご飯も美味しくない。」そういう言葉を聞いても、薬は減らしたほうが良いとか、何か食べるもの買ったほうが良いとか 鸚鵡返しの返ししかできず、親身になって聞いてあげることができなかったなと今でも強く後悔しています。   何を考えようとももう二度と母は戻ってくることはありませんので、できるだけ「たら、れば」を考えないようにしています。 逆に、色々病気を患って愉しいと思えないような時間から解放された母に対して「良かったね。」と今では思える部分もあります。 特別体に不自由が無い僕には、それが親であろうとも本当に辛いという気持ちを分かってあげられることはできないと分かりました。 だからこそ、今世から旅立った母がまた来世で生まれ変わる時には、是非健康的な人生を送って欲しいなと心から思っています。   唯一、母親の言いつけ?を守れたことがあります。 それは、延命措置をするなということです。 思い返せば僕が高校時代の頃からそういうことを冗談半分で言っていました。 その時は特別重く考えたわけではありませんでしたが、いざ現実を目の当たりにすると心は揺れ動くと思います。 僕の家族の場合は、母がそこまで重篤ではないという勝手な自己判断も大きな原因ではあったわけですが、 少なくとも人工呼吸や輸血などをしなかったことは母にとって無駄に苦しまずにすんだのではないのかなと今は思います。 そして、僕自身も同じ道を歩みたいなと感じている次第です。   まだ書いていない内容もあるような気がしますが、僕自身の備忘録がメインなので何卒ご理解ください。 四十九日は来月中頃ということもあり未だ現実を完全には受け入れられていない所があるのですが、 1ブロガーとして、事実を書き記すことの大切さを大切なことを捉えているからです。   さて、今や癌になる人は2~3人に1人と言われており、自分以外の家族を入れると誰でも身近になっている病です。 だからこそ、癌を向き合う生き方というのは常に考えていないといけないことだと思っています。 同時に、癌にならない健康的な生き方を追求することを今後の課題としていかなくてはならないでしょう。 西洋医療には存在しない未病という考え方こそ僕達が注視しなくてはいけないことであり、 常日頃から食事、睡眠、運動の3本柱に加え、精神状態をどうやって大切にしたら良いかを自分なりに考えたい。 そして、それを少しでも多くの人と共有できればと思っています。   P.S. さて、最近僕は2つ新しい事を始めました。 1つはトレーニングジムで、再びマッチョになろうかなと。 もう1つはボイストレーニングです。 これは、所謂歌唱力と日常的に喋る場面の両方を意味します。 この度ご縁が合ってご指導頂いている先生が大変深遠な方で、 普通では出会えないような見えない能力をお持ちです。 僕の母も音大を卒業し、長らくピアノの先生をしていたこともあり、 このタイミングで出会うものかと感じてしまっており、まさに人との縁というのを感じざるを得ません。   僕自身大使という立場として、自分を伝えていくかという目標を高めることが重要だと感じていて、 先生からのご指導を通じてステップアップしていきたいと思っています。 そして、それが母に対する最大の親孝行であると信じています。