久々に書籍レビューをしてみることにします。
以前からブログで書いております通り、(ここをクリック!)
僕は現代医療の典型的な否定派です。
関連用語を覚えても何の得にもなりませんが、
例えば対処療法なんて下衆の極みと言わざるを得ません。
体調が良くないので町医者へ行ったところ
「あぁ、これは風邪でしょう」なんて言われて風邪薬を処方されるのは
患者の事を何も見ず、風邪っぽいのは全て同種の薬を出して終わり。
本当は全然違うウィルス性の病気あるいは胃腸等の不調から咳が出ている可能性もあるのに
過去の薄っぺらい経験と固定観念だけで診断してしまうことは恐怖の域ですらあります。
さて、僕の持論を述べても仕様がないのでこの書籍で心に残った箇所を述べていきたいと思います。
まず刺激的に感じたのは、現代医療は宗教を超越する地位を追求しているという事実です。
言い換えれば、宗教の代わりに全人類が信仰すべき対象とし崇めるべきと医師会という害悪が考えているわけです。
例えば手術は信仰の証であり、聖職者=医者が手術を執り行えば何でも克服できると信じられていると書かれていますが、
僕に言わせれば究極の欺瞞であり傲慢に満ちた思考であると断罪すべきだと心から思います。
また、罪の教えと救済について、医療はその聖職者として人を解放させた。同時に、病院に行かなければ
罪の意識を感じるように洗脳したと著者であるロバート・メンデルゾンは述べていますが、
なるほど確かに日本の一般社会においてもこの感覚がある種盲目的に受け入れられていると痛感します。
大変エポックメイキングだったのは、現代医学によって家族、つまり親と子が隔離される風潮を広げるという提言です。
解り易く言うと、生まれた直後に赤ん坊と意味もなく隔離することに始まり、その後も事ある毎に不必要な検査や入院など
とにかく医療側は家族という共同体を切り離し、その代替案としての病院に詰め込み暴利を貪ると共に、家族観を切り離すという
致命的な行為を犯していることは100%間違いありません。
我々はとにかく変わらないといけないと思います。
病院にNOと言える存在が1人でも増えることで、医者が廃業の危機に際し、あるいはそのまま自滅する様を
見届ける義務があると思います。
面白い事に、医者でもある著者がこうも述べています。
「患者が正常である限り医者は何の利益も得られない。」あるいは、
「医学界の実態を良く知ればほとんどの医者が不誠実で、卑怯で、無能で、不健康で、知性と教養に欠け、
人の道を踏み外した不心得者であることに気づくだろう」と。
的を射た痛烈な描写ですが、僕自身思い浮かぶ対象がいて、なるほどそうだなと心から感じます。
罰が当たればいいのにと常々思っていましたが、あっ、(以下自粛笑)
さて、再三ブログでも書いていますが、ここ3年一切医者には罹っていません。
今後死ぬまで罹るつもりも本気で無くて、それ位僕にとって西洋医療はヘイト(嫌悪)の対象です。
今後1人でもそういう人間を増やしていくべくここ数年頭の中では考えてきました。
ファスティングマイスターやランニングインストラクターなどの資格も取得して、
田舎暮らしあるいはアウトドア生活なども徐々に始めてきました。
が、そもそもの金銭面と今一つのパンチが弱いとも思ってきた自身がいます。
そんな中、ひょんなことから間違いなくその隙間を埋めて余りある商材の紹介を受けました。
ここでは細かいことは割愛しますが、このミラクルな食材があれば、間違いなく人は健康へと近づくと本気で思います。
僕自身も先日からのランの大会で使用した際に劇的な効果を感じて驚いている程パワーがあります。
(ヒントを書くと、ある果物です。)

安易に宣伝をすることで安く見られたくないので恐らくブログで書くことは今後も滅多にないと思いますが、
近しい方々には少しずつ話をさせて頂き、お互いにwin-winになっていければと本気で思っています。
ただ、アプローチの仕方が難しいのでメンターから今後も指導を受けて、レベルアップしていく所存です!
編集後記:
今日はコミュニティ通訳の講座へ参加してきました。
コミュニティ通訳という言葉は一般的になって日が浅いですが、
外国人旅行者ならびに居住者が年々増加している中、その価値が高まっている存在です。
聴くだけ、書くだけならまだしも他言語を喋り、相手に伝えるという事は難しいことで、
とりわけ法律や医療等が絡んでくると誤解は許されないことは言うまでもありません。
一方で、語学と言うのは適切な方法で努力すればきっと道は開けると僕は信じていて、
右往左往していますが、通訳としての仕事を持ちたいと思っています。
そんな中、今日の講座を経て改めてモチベーションを高めることができました。
通訳案内士の資格が道半ばですが、今月からまた再開しなくてはと思い始めています。
一番勉強した高校時代も恋愛しながらの合間の勉強でしたが、一定の結果を出すことができたので、
完全フリーな今なら死ぬ気でやればきっと光は見えるはずと思って頑張りたいと思います。

後記の後記:
今日のアド街は浜松とのことで、感慨深いというか何というか…。
最後にこの地を訪れたのは確か2008年頭頃でしたが、
当時お付き合いをしていた女性の住む地だった事以外は何もありません。
あの時は25歳で遊びたい時期で、結婚なんて全く考えられなかったのですが、
今思えば結構、いや相当後悔をしている自分がいます。
浜松で初めて砂丘を知りましたし、初めてコメダ珈琲を知りました。
初めて相手の身体を心配しましたし、遠距離恋愛の寂しさも感じました。
ただ、当時既に地元に帰って母親の面倒を見つつ起業をしたいという想いがあって、
果たしてそれを相手が受け入れてくれるか不安だった気持ちがありました。
結局想いを伝えることもなくその娘から僕は身勝手に去りました。最低な行為です。
共通の同僚でもあった親友達にも理由は伝えてはいませんが、「内山さん、何やってんだか。」と思われていたんだろうな。
いや、まぁまぁぼろくそに言われていますね、呑みながらだから記憶が怪しいだけで…。
その後はあまり真剣ではない恋愛を何度かして地元に戻って早7年目になります。
一昨年母は亡くなってからは「頑張ろう」のモチベーションがイマイチ持てない時間が続いていて、
「どげんかせんといかん」とは思いつつも心を変えることは難しいなと常々感じています。
環境を変えることが必要なのかなと、そろそろそういう時期かなと考えることが増えており、
2017年は動く年、変わる年になる予感、いえそうすべき1年として活動していきます。