フリーランスという事もあり、フットワーク軽く幾つかのコミュニティへ参加しているのですが、
全く別の人ですが、パッと見顔や髪型といった外見がかなり似ています。
勿論、その2人に全く繋がりはありません。年齢差は恐らく10歳位でしょうか。(僕より年上の方々です。)
見た目が似ていると何となく同じような感じなのかと思ってしまうところもあると思います。
あまり詳しく書くと特定される恐れがあるのでこれ位にして、今回何が言いたいかと言うと
人格=外見+雰囲気という方程式が成り立つのではないかと言う事です。
解り易くするために、先に挙げた2人の比較を前提とします

まず挙げたいのは「笑顔」です。
誰でも1日、いえ1週間に1回は笑顔になるのではないかと思います。
ただ、笑顔の中でも相手に対してもポジティブな感情を抱かせる笑顔とそうでないものがあると思います。
敢えて書くならば「善」という清い雰囲気を醸し出す笑顔に対して、
どこか純粋さに欠ける敵意をも含むような「悪」のある笑顔とでも言えるのでしょうか。
丁度この2人はその対極に位置しています。
これに関していえば育った環境や現在の立場など様々な環境要因がある為他人が過度に批判的な見解を持つことは難しいですが、
それも含めての人間性ということは言えるのかなと思っています。
この内容を書くと、分かる人には特定されてしまいそうなので書き方が難しいのですが、
要するに、自らの想定外の事態が生じた時の感情の持って行き方に関してです。
双方共にそれほど普段からお会いする方々ではない(特に片方は未だ一度だけ)のですが、
お1人の方はとあるトラブルが起きた際も僕に語り掛けるかのように状況をご説明されました。
全く怒っている雰囲気は無く、こちらも不安な気持ちになることなく対処することができたのを覚えています。
もう片方の方は、単刀直入に言うとものすごく攻撃的です。
最近特にそういう気持ちになったのですが、何というかあからさまに否定的な表現をされており、僕は多々被害をうけます。
ただ、人によって使い分けている感があり、僕のような劣ったかつ言いやすい対象を選んでいるのも見て取れるわけです。
一言で言うと、周りにフレンドリーかどうかになります。
これって生まれ持った性質と言ってしまえばそうかもしれません。
ただ、僕自身を考えると生来の性質は100%内気な人間で
生前母からも良く聞かされていたのですが、
「泣きの剛(僕の名前)」だったようで、赤ちゃん+αの頃は
初対面はおろか何度も会ったことのある人ですら大泣きしていたようでした。
ま、一言で言うと「超」人見知りだったわけです。
今でもその要素はあるものの、成長するにつれて初対面+年下でも自分から話し掛けられるようになり
見方によっては結構積極的な人なんて印象もあるのかもしれません。(対女性は除く。)
で、何が言いたいかと言うと、大人になれば自ら他人へ話しかける機会は多々あるわけで、
それを出来ない=閉鎖的な人間にはどうしても欠陥があると思わざるを得ません。
今回挙げているお二方に関していえば、まさに対極と言えるでしょう。
一方の方はとある旅行以来お会いしていませんが、初対面から打ち解けることができました。
方や最初からどこか違和感を感じていながら今に至るような関係です。
誤解を恐れずに言うと、話し掛けられたのに対して話す人は社交的には該当しないと思います。
言うなれば犬に「ワン」と言ったら「ワン」と返すその程度の価値しかないと思います。
そうではなく自分から相手に対してコミュニケートすることが重要です。
特に、自分のが年上の場合あるいは初対面の相手に対しては、緊張を解いたりするために
話し掛けることが必要だと思います。
傍から見ていても、一方の方はまさに人格者で多くの方からの人望があるのが見て取れますが、
片方の方ははっきりいうと小物(失礼)。でも何というか、コミュニティが極狭なのが明瞭なわけです。
全く見た目が違っていたら特別気に留める事でもないのかもしれませんが、
私見ですが外見が似ている2人ながら全く性質が違っている事が興味深く記事にした次第です。
僕は幸運にも政治家、経営者等自らの力で生き抜く方々と関わる機会が多いこともあり、
「人の成り」を学ばせてもらえることを大変貴重に感じます。
今年はぞろめの33歳ですが、気づけば40歳に足を突っ込む年齢を迎える中、
恥ずかしくない人格形成を築いていければと思っています!
編集後記:
数日程ではありますが、12月頭に1年半ぶりに上京するのですが、
折角の機会なので将来を見据えて都内+αをウロウロしてこようと思っています。
地震は怖いですが、1年の何か月かは都会で過ごす事は大切だと思っていて、
何より親しい友人達に近い場所に住めたらいいなといい歳して思ったりしています~。