人生観

僕の生い立ち~育った環境~

2月になりましたね。早速ですが、今日はたまたま見かけた動画からご覧ください。

 

 

かなり深い、いや少し怖いとすら感じる内容ですよね。

世の中には「因果応報」という言葉がありますが、僕はそれを信じています。

あまり僕の過去を赤裸々にしたくは無いのですが、先日ちょっと傷つくことを言われてしまって、

そういう風に思われる理由を考えるべく自分の生い立ちを思い返してみました。

 

まず、どういうことを言われたかなんですが、正直かなり酒も入っていて完全には覚えてません。

ただ「優しそうに見えるけどかなり冷たい性格だよね?」のような事を言われたように思えます。

かなり酒も入っていましたし、その方は今後も親しくもならないタイプなのでどう思われようと別に良いんですが、

やっぱり僕も人間なので他の事は覚えてなくてもこの時だけは何故か記憶に残ってしまいました。

ま、本音を言うと酒が入っていてもそういう事言う人って人としてどうなのかなって思いますけどね。

僕は喧嘩は絶対売らないタイプですが、売られたらとことんまで根に持つタイプなので、

まぁ、その方とは今後の関わり方は明確に差別化することは間違いないと言えるでしょう(どうせ僕のブログなんて知らないので笑)

 

とはいえ、僕自身の生い立ちを少し思い返すことも必要と思いました。

結論から言うと、以下の理由で小学時代は結構な頻度で馬鹿にされたり虐められていました。

 

・アイパッチ

 

・頭を頻繁に振る

 

多分??の人もいると思うのでまずアイパッチから説明します。

これは、片目が見えない(見えにくい)人が矯正するために使う眼帯のようなものです。

ただ使った立場からすると眼帯と言うよりも大き目なカットバンで、剥がす時とかまぁまぁ痛いんです。

夏の時期とか目が被れたりもしましたね。

 

で、何故こんな類をつけたかというと、生まれつき僕は弱視という病気を持って生まれました。

弱視という名のとおり、片目が見えないあるいはほぼ見えない視力しか持っていなくて、

僕も御多分に漏れず右目はほぼ視力0です。良くて0.01とか?

他市か5~6歳までに矯正すれば改善するらしいんですが、僕の場合はそれが少し遅かったようで、

6~7歳から頑張ってみたけれど効果は出ずに断念、というオチでした。

今は亡き母親に連れられて毎週のように眼科に通っていた日々を思い出しますが、

宇部医大(現:山大)とかにも通っていたので、本当に親の偉大さを今でも心から感じています。

 

子供の時って、人と違う外見の人って奇異に映りますよね?

僕は間違いなくその対象の典型で、片目をアイパッチでウロウロしていたこともあり、

恐らくみんなから慈悲の目あるいは変な目見られていたことでしょう。

事実、当時のいじめっ子から後ろから頭を叩かれたり、クラスメートからもどこか距離を置かれていました。

弱視と分かる前の幼稚園時代はそういう立場ではなかったこともそれを助長しています。

 

次に「頭を頻繁に振る」といういまいち人には解り難い事象ですが、

これも結論から言うと僕は人より髄膜が大きいらしいいです。

これが脳みそなら嬉しい事なのですが、そういうことではなく髄膜炎という病にも関連する次元です。

で、これが本当に直接的な原因かは分かりませんが、小学生高学年は頻繁に頭を振ったりしていました。

今はその症状は99.9%無いのですが、当時はかなり異常に映っていたようです。

親はおろか当時所属していたサッカー団でも「コックン」と揶揄されていたようです。

元々足裏が異様に痛いと感じる変な病もあって、恐らく神経性の問題があった(今も含め)のだと思います。

 

で、そういうのが真の原因は分からないんですが、

今でも強く覚えているのが、地元のサッカー団に入っていた小学生高学年の時、

チームの監督の車で30分程度みんなで移動していたんですが、いつからか歌の合唱が始まりました。

当時の記憶は殆ど覚えていませんが、唯一僕の悪口を替え歌にしていた事だけはしっかりと記憶しています。

元々気が弱い性格で言い返せなかったこともあり、僕はうつむいているだけでした。

それが余計にいじめっ子?からすると都合が良いんでしょうね、恐らく卒業まで続いたんではないかと思います。

それ以外も習字の教室で年下からもいじられめたりしていたので、僕は元々そういう性格なんでしょうね。

言われたことに対して言い返せないので、馬鹿にしやすい、そういう人間だったんでしょう。

スーパーで不良?に絡まれて逃げたこともありました苦笑

 

今になって思えば、そういう経験が潜在的に大学でラグビー部に所属する契機になったんだと感じます。

体を鍛えて心も鍛えて人には負けない、そういう気持ちが人一倍強くなったようにも感じます。

 

で、昔の記憶ってやっぱり今でも覚えていることが多くて、トラウマ的な内容ってそれが余計に強かったりするわけです。

僕の場合も、特に小学時代は良い思い出もありつつもやっぱり思い出したくない事もいくつかあって、

一時的とはいえ今は地元に帰ってきていますが、正直小学~高校時代の人間とは普段会いたいとも思いません。

嫌いと言うわけじゃないんですが、そもそも興味が沸かない。何というか必要としない、こうなっちゃうわけです。

 

要は、本当に信頼できると感じた人にしか僕は見せない顔があるんだろうなと。

僕にとって親友と呼べる存在は4人いて、2人は海外、2人は関東にいます。(みんな遠いんです泣)

あいつらとだったら毎日でも飲み明かせるだろーなって位大好きで、僕にとって癒しです。

で、これは仮説にはなるんですが、僕のこの過去を彼らに伝えても恐らく僕の期待する回答をくれることが分かるんですよね。

みんな大学以降に出会った奴らなんで頭も良いのですが、それ以上になんというか人の気持ちが分かる素敵なメンツ!

当時母が高校時代にとにかく「東京へ行きなさい。」と言っていたのが何となく今分かってきた気がします。

僕は東京外国語大学で上を知り、郵船航空サービスでも上を知りましたが、やっぱりこの経験が今に生きています。

そしてそういうレベルで知り合えた親友達と今後も末永く付き合って、時々飲み明かす時間が来ることを楽しみに頑張っていきたい、そう強く思っています!

 

編集後記:今年の東京、フィリピン、シンガポールへの旅はいつにしようかな~。

商売が少しずつ上昇傾向なので、1か月スパンで滞在しようかなと画策中です!あぁ、楽しみだ!!

その前に今週末はハーフマラソンの大会。走り終わってから昼から1人酒があぁ、楽しみだ!!

 

 


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