たまたま昨日、地元の番組で学校に通えない子供達を救うスクールに関して報道されていました。
その中の1人が、「勉強はしたい。でもそのためには学校に行かなくてはならない」
その子はあっけらかんとそう言っていました。
僕の個人的な意見で言えば、そういう発言が出ることがとても残念だと思います。

勿論、学校は勉強する為の場所です。
テストで良い点を取って良い大学に行く。そういう目標はあって然るべきです。
僕自身、中高共に定期試験で常に1番を取りたいと思って頑張ってましたし、
実際、それをほぼ達成しました。
でも、学校ってそういう勉強が主の目的じゃないと思っています。
友達と飲み(違うな)遊んだり、異性を好きになったり、部活に打ち込んだりと
勉強はその中の1つに過ぎないと個人的には思います。
仮に勉強ありきとするならば、塾の存在価値をどう捉えるべきでしょうか?
ただ単に良い成績を残すためだけに学校へ行きたいと言うのなら、
それはもしかしたら本心とは違うのではないかと考えます。

はっきり言ってしまうと、良い大学、良い企業に入ることを考えすぎている子供達が多すぎる。
子供の時はもっと夢を持って過ごしてほしいし、それを親世代は作らないといけない。
確かに少しずつ景気が良くなって言われているとはいえ、実感は殆どないでしょう。
そういう現実を生まれた時から見続けている今のティーンエイジャー達からすると、
親の苦労を見ているからこそ、僕/私は頑張ろうという思いは強いのかもしれません。
でも、うーん。そうじゃないと思うんです。
言葉に表すのは少し難しいんですけど、現実を見るとあまりポジティブな気分になれません。
でも、少し型を外れてみる。視点を変えてみると違った答えも出てくると思うわけです。
僕個人的に言えば、大学はまぁまぁ有名な所を出ました。そこそこの大企業に勤めましたが、
数年で辞めて、紆余曲折を経て今は独立起業をしています。
勿論、これが正解とは言えるわけ無いです。独身だから成立する生き方だと思っています。
でも、敢えて言うとすれば、当たり前に高偏差値の大学に入って、当たり前に一流企業に入社し、
当たり前に結婚して人生を終えるという生き方が本当に正解なのか。不満は本当に無いのか。
言うなれば、単なるステレオタイプな生き方なのではないか、そう思っているわけです。
少し話を戻すと、塾は勉強だけの存在だと断言できます。
逆に塾で友達とだべったり好きな人を作るようなの行為は100%違います。
仮にそれに反論がある方は、是非親御さんの顔を思い浮かべることをお薦めします。
(自腹で塾や予備校に通っている方に対しては深く謝罪します。)0
くだらないので多くを言いませんが、その環境毎に役割があるという事です。

さて、そろそろ纏めに入ります。
「学校」という子供達にとって一番長く過ごす環境がどれほど彼らにって意義深いものなのでしょうか。
その当時は分からないせよ、後になってどう感じられいるものなのか果たして不明です。
学校教育に関して外部はほぼ何も言うことができない現状は変わることは無いでしょう。
でも、少なからずこれからの世代が「学校という場が最高に楽しい」と誰もが言えるような環境づくりをできるように
一人ひとりが何かできることがあるだろうと思いますし、僕自身も貢献できればと思っています。;