話す能力 vs 聞く能力

今年も早5月も半ばで、まだ投稿が0だったことに気づき、近況報告がてら書き記します。ここ数年来オンラインでの会議が増えています。基本的な流れは同じだとは思いますが、顔を合わせてする会議と比べると発言をしにくくなったように個人的には感じます。

元来日本の会議は討論というよりは司会から話を振られてから発言するというのが風習としてあります。それでも中には異論や疑問があればその場でタイミングを読みつつ発言をする人もいて、そのバランスが保たれてきた面があると思います。

しかしながら、このオンライン会議だとそれが非常に難しくなったのではないでしょうか?複数の声が重なると、聞いている方は正直耳に触る点は否めません。また、参加者によって周囲の環境も異なり職場の音が自分でも思っている以上に響いているという事に意外と気付いていない方も多いように感じます。

正直、多くの方がこの生活様式が無くなることはないだろうと思っているでしょうし、いちいち現地に出向くより家で参加する方が「楽」なので、一度楽を覚えてしまうとそっちになびいてしまうのは仕方のないことだと思います。ただ、やはりFace to Faceでの関係性とOnline上での関係性の濃淡は避けられず、今後仕事上にしてもプライベートにしても人間関係はどんどん希薄になっていくだろうと危惧している面はあります。(勿論、使い分けと言う考え方でも良いとは思いますが。)

そんな特殊から日常に変わりつつある生活を送る中、僕自身もそれなりに変化を続けてきました。丁度コロナウィルスが流行り始めた直後に入会した中小企業家同友会での活動を通じて、少しずつですがほ他の経営者との関係が仕事に繋がり始めています。別にそういう利得を求めたわけではなく、(否が応でも)参加すると何かの拍子に仕事の話になるわけで、半ば強制的に新境地に身を置くことになったと言えます。

とりわけ、この2022年からは支部の委員会活動で委員長を1年間務めることになった事が1つの転機になりました。過去、一匹狼的な生き方をしてきた身としては、会をまとめるという事はほぼほぼ未経験で、自分の意見がどうこうではなく、人の意見をどうやって引き出して、活発な会を作り上げるかに現在思案しているところです。

そこでこの頃感じる事があります。話す能力聞く能力のどちらが重要なのだろうかと。率直に言って、僕は聞く方が好きな人間です。逆に言えば喋るのが得意ではなく、緊張しいなのです。印象的な話があって、僕は今年もオンラインで中国留学をしています。そんな中で感じたのが、やはり語学習得と喋るのが得意かそうでないかはかなり関連性があるなと言う事です。参照:オンライン中国留学で上級話者への道

それはこういう事です。僕以外に約13名程度の生徒(半分以上大学生)がいるのですが、中国人並みに会話力がある学生がいて、彼自身は自分でも「話すのが好き」と言っていました。はっきり言って僕の場合はあらかじめ話す内容を準備して、それを頭の中で組み立ててからでないと上手く話せないのですが、その彼の場合は思ったことを恐らく即座に変換して話すことができていて、とても羨ましいなと思うとともに、やっぱりおしゃべり好きは語学習得の速度が速いなと痛感させられます。

ただ、一方で感じるのは話好きな人は総じて話が長くなって、内容が見えなくなるという事です。戦術の通り、僕の場合は言いたい事を組み立ててから話すので、例えば「〇〇です。何故なら〇〇だからです。」と論理的に話すのが得意なのですが、その彼の場合は事実を長々と話す傾向が高く、纏まりの無い内容になる事が多いように感じます。

勿論、話好きの全員がそういう訳ではないと思いますが、思った事をそのまま喋るのは一見したところ話し上手にも受け取れますが、よくよく聞いてみると相手に自分の言いたい事が伝わらない、というリスクを備えているように感じている次第です。

さて、話を戻して「話す能力と聞く能力」についてですが、これはあくまで僕の個人的な意見ですが、ウサギと亀の話に近い部分があるように思います。話す能力が高い人がウサギで、聞く能力が高い人が亀。やっぱり成功者の多くはTEDのように人前で講演して人を魅了する能力が高いです。宗教家もそうですよね。なので、語る内容が事実であればほぼほぼ成功するのではないかと思います。対して聞く能力が高い人はどちらかと言うと人前に出るというよりは参謀的な立ち位置でボスをフォローするタイプな感じがします。なので、両者を比べれば(ウサギ)の方が名声を得られると言えると思います。

ただ、ここでミソがあります。野球をたとえに出すと分かりやすいと思いますが、打撃はある程度までなら努力でレベルアップできるが、守備は天性の才能があると言われていて、これを「話す」と「聞く」に当てはめると「話す」は打撃で「聞く」は守備であるように考えています。結局、人の話を聞くのが得意でない人は、その性格を変えるのはかなり難しいです。そもそも自分が話したいのに人の話を聞きたくない、という観念を持っているからです。対して話すというのは技術でカバーできる部分が多く、訓練をすれば水準を引き上げる事ができるのではないでしょうか?

また引き合いに出してしまうのですが、例えば僕が中国語で何か話をするとして、自己紹介であればよく中国の友人から言われるのが、「顔を見ず声を聞いているだけだと中国人だと思うよ。」と。つまりそれ位話す内容が纏まっている(発音の良し悪しもありますが)という事が言えるのです。それが全く門外漢の内容だったり知らない単語が出てくると俄然拙くなり、言いたい事が言えなくなってしまいます。言い換えると、多くの事にアンテナを張り、自分なりの意見を常に頭にいれておけば、それが話す能力の向上へと繋がってくると思うわけです。

あと聞く能力とも関連するのが、質問力だと思います。相手の話を聞いてそれに対して自分の意見を言うのも良いのですが、僕だったら「掘り下げる」事に注力を注ぎます。会話はキャッチボールなので、お互いに自分の思いを剛速球で相手に投げ返していたら、そのうち喧嘩になります。そうではなく、ふわっとしたボールで質問をすればまた相手もふわっと返してくれて、その場での会話がとても充実した内容になるのではないでしょうか?ちなみに、僕がもし剛速球で投げ返す人と出くわしたら、その場での会話を最後に二度と関わることはありません。これまでそういう主義を貫いています。

そろそろ纏めに入ります。話す能力と聞く能力、勿論両方高いことに越したことは無いのですが、人と関わって生きていく社会で生きていくのならば、聞く能力がより重要ではないかと思っています。一時的に声の大きい人が勝ち上がったとしても、最後の最後は人の話を聞ける人が成功する社会、これが理想ではないかなと思っています。

編集後記:

今年のGWは宮島に登山をしてきました。トレランは数年前にレースに何本か出たことはありましたが、数時間掛けて登山をするのはほぼほぼ初めてで下りは少し足が疲れました。翌日どうかなと思いましたが、思ったほど疲労が無く40歳目前の中1つの趣味にしても良いかなと思った次第です。