こんな方におすすめ
- 海外ビジネスや文化の裏側に関心がある人
- 自分の常識を一度リセットしてみたい人
- 綺麗事だけではない海外の一面を感じたい人
私はこれまで10か国以上の国々を訪れ、主にアジア圏を中心に様々な文化に触れてきました。その中で、最も印象に残っている旅の一つが、2013年に訪れたカンボジアです。滞在はわずか4泊ほどでしたが、私の中で強烈な印象を残した国の一つになりました。
アンコールワットの壮大さに感動した一方で、街の裏通りではインフラが未整備な現実を目の当たりにしました。
そしてさらに心に深く刻まれたのは、**「現地の子どもに“ある”事をと言われた瞬間」**でした。
今回は、私がその旅で感じた“光と影の狭間”をありのままに綴ります。
目次
アンコールワットの荘厳さと、カンボジアという国の「誇り」
旅の目的地の中心は、やはりアンコールワット。
カンボジアの象徴であり、世界中から観光客が訪れる巨大遺跡です。
夜明けとともに寺院の影が水面に映る光景は、まさに“神の時間”でした。あの静寂、あの空気。どれだけ写真を撮っても、あの瞬間の重みは伝えきれない。
現地のガイドは流暢な英語で語ってくれました。
「この国は何度も壊され、何度も立ち上がった。私たちはそれを誇りに思っています」
その言葉が印象に残っています。
戦争、内戦、ポル・ポト政権、そして長い貧困の歴史。それでもなお、彼らは“誇り”という言葉を使う。
彼らにとって、アンコールワットは単なる観光資源ではなく、“生きる象徴”なのだと感じました。
ただ、その壮大な遺跡のすぐ外では、道路が舗装されず、子どもが裸足で歩き、屋台の明かりだけが夜を照らす。
そのギャップが、私の心に妙なざらつきを残しました。
「誇り」と「貧しさ」が同じ場所に共存している――それが、私にとってのカンボジアの第一印象でした。
プノンペンからシェムリアップへの“4時間の土道”が語るもの
旅の2日目、首都プノンペンからシェムリアップへ向かう車の中で、私はカンボジアの現実を目の当たりにしました。
距離にして300キロほど。しかし道路はほとんど舗装されておらず、赤土の道を延々と4〜5時間走り続けます。車は揺れ、埃が舞い、窓の外には人と牛が同じ道を歩いている。
途中の休憩所で立ち寄った食堂では、子どもたちが皿洗いをしながら笑っていました。
たぶん、学校に行けない子どもたち。けれど、彼らの笑顔は力強かった。
「これが日常なんだ」と思うと、胸の奥がズンと重くなりました。
日本では、蛇口をひねれば水が出て、スイッチを押せば電気がつく。
それが「当たり前」ではない国に来て、初めて分かる“豊かさ”という言葉の意味。
旅の途中、私は何度も「日本に生まれた幸運」を噛みしめながらも、同時に「それに甘えている自分」に気づかされました。
忘れられない一言――カンボジアの子どもにある言葉を言われた瞬間
そして、今でも忘れられない出来事がありました。
夕方、シェムリアップの街を歩いていたときのことです。観光客向けのナイトマーケットの近くで、小学生くらいの女の子たちが4人ほど、こちらを見てニコニコしながら手を振ってきました。
私は笑顔で「ハロー!」と声をかけました。
彼女たちはキャッキャと笑いながら、何かをカンボジア語(クメール語)で叫んでいます。
無邪気で可愛いな、と思いながら手を振り返すと、通訳の男性が小さくため息をつきました。
「……今、あの子たち、“お前、死ね”って言いました。」
一瞬、時が止まりました。笑顔の裏にそんな言葉が隠れていたとは。
悪意があったのか、それとも教え込まれた反応なのか。
いずれにせよ、その言葉には“外国人への複雑な感情”がにじんでいました。
その瞬間、私は「観光客」ではなく「搾取する側の人間」として見られていることを悟りました。
外国人がもたらすのは、観光収入だけではない。
彼らの土地を利用し、文化を商品化し、安い労働力を求めて入ってくる外資――。
子どもたちはそれを知らずに見て育ち、やがて“笑いながら敵意を持つ”という矛盾を背負っていくのかもしれません。
「死ね」と言われたとき、私は怒りよりも悲しみを感じました。
彼女たちが憎んでいるのは、たぶん“私”ではなく、“不公平な世界”そのものだったのです。
外資に支配される国、笑顔で生きる人々
現地では、観光業以外にもいくつかのビジネス現場を見学しました。
ワインの養殖業、宝石ビジネス、そしてカジノ。
どれも外資が深く入り込み、中国系マネーが街全体を動かしているように見えました。
その一方で、ローカルの人々は小さな市場でココナッツを売り、観光客に手作りの布を渡しながら生計を立てている。
「この国は、誰のために発展しているのか?」
その問いが頭を離れませんでした。
夜の街には、ネオンの明かりと同時に“裏社会の匂い”が漂っていました。
カジノでは金が飛び交い、外国人と現地の人が取引を繰り返す。
そこには貧困の影と同時に、したたかな商才も感じました。
貧しいながらも、自分の手で生きようとする人たちの姿勢に、私は心を打たれました。
笑顔と敵意――二つの顔を持つ国で考えたこと
カンボジアでは、笑顔があふれていました。
それは本心からの笑顔もあれば、生きるために必要な“ビジネスの笑顔”もありました。
観光客にとっては「癒しの国」でも、彼らにとっては「生きるための舞台」なのです。
子どもたちが「死ね」と言った背景には、貧困だけでなく、国の歴史があります。
長年の戦争、外国からの支配、教育格差。
それらが複雑に絡み合い、無意識のうちに“他者への不信”を生み出している。
私はその出来事を通して、「旅とは異文化を楽しむことではなく、異文化を受け止めること」だと知りました。
人の優しさも、怒りも、すべてが“その国の真実”なのです。
🌅 まとめ
カンボジアの旅は、私にとって“世界を知る旅”ではなく、“自分を知る旅”でした。
アンコールワットの荘厳さに感動し、インフラの遅れに驚き、子どもの言葉に胸を突かれた。
たった数日間でしたが、人生で最も濃い時間のひとつだったと思います。
旅をするということは、他国の美しさを探すことではなく、
「自分がどれほど狭い世界で生きていたか」を知ることでもあります。
そして、時にその学びは痛みを伴う。
あの**“死ね”という言葉**は、今も私の胸の奥に刺さったままですが、
それは“他人の国の痛みを知った証”として、決して忘れてはいけない出来事です。