こんな方におすすめ
- 海外生産×日本流通ビジネスに興味がある人
- 小規模経営者・個人事業主で多役をこなす現場に共感する人
- 起業や経営の「裏のリアル」を知りたいと思っている人
2018年。僕はベトナムで割り箸の製造ビジネスに関わっていた。海外での生活は3ヶ月。ようやく慣れてきた頃、思いもよらぬ連絡が入った。「日本側のオペレーションに問題が発生した」と。そこから急遽帰国、半年間にわたって日本での営業・経理・物流まで、すべてを担うことになった。
その半年間は、まさに嵐だった。経営のリアル、現場の混乱、人間関係のほころび…。短期間だったが、のちの自分にとって「この半年があったから今がある」と断言できるほどの経験だった。
この記事では、ベトナムから帰国後、日本でどのような現実に直面したのか、現場で何をして、どんなトラブルがあったのか──赤裸々に語っていく。
目次
女性スタッフの金銭トラブルが引き金に。日本の現場が崩れた日
当時、日本で現場を仕切っていたのは女性社員だった。能力的にもボスからの信頼も厚く、「バリバリやってくれる人」と評判だった。しかし、ある日突然、彼女に金銭トラブルの疑いが浮上する。詳細は不明だが、ボスの判断で彼女はオペレーションから外され、本人も「辞めます」と一言だけ残して退職。
混乱したのは当然だ。卸売業というのは、海外で作るだけで終わらない。日本国内での入荷確認、検品、振り分け、出荷、営業まで含めて初めて成り立つ。要は、現場を回す人が一人でも欠ければ崩壊する。
ボスからは「すぐに帰ってきてくれ」と言われた。ベトナムでの生活を3ヶ月で切り上げ、帰国。こうして僕の“第二の修羅場”が始まった。
見出し②:届くメールは修正依頼の嵐。100円ショップの「理不尽な現実」
帰国して最初に向き合ったのが、毎日鳴るメールの通知音だった。100円ショップの本部や各担当者から送られてくるのは、細かい仕様変更の依頼。例えば「このデザイン、色味をもう少し明るくして」「このパッケージ、日本語表記を増やして」など、まさに“細かすぎる”要求の連発。
しかし問題は、すでに製造が完了し、海を渡っている商品が大半だったこと。10個20個ならまだしも、相手にしているのはコンテナ単位、1万、2万というロット数の商品だ。今さら変更なんて不可能。
でも、それをそのまま言ってしまうと「対応力がない」と見なされる。だからこそ、「今後はこう変える、今回はこう処理する」と毎回説明と説得を繰り返す必要があった。技術よりも、むしろ“交渉力”が問われる世界だった。
見出し③:物流の裏側で何が起きていたか。大手倉庫で見た現場の地獄
僕が帰国して担当したのは、事務だけじゃなかった。大手運送会社の倉庫に入り、現場で実際に出荷作業も行った。コンテナで届いた製品を開封し、100円ショップの店舗ごとに商品を振り分け、箱詰めして送り出す。
A店にこの数量、B店に別の商品。ロットを間違えればクレームになり、クレームになれば全数返品の恐れもある。パズルのように組み合わせを考えながら、ひたすらガラガラとカートを押し続ける日々。現場のスタッフたちと汗を流し、指示を出しながら、時には自分も手を動かす。
物流は“人と体力”で成り立っている。現場に出て、初めて見えるものがある。そして、会社が「人手が足りない」と嘆く理由も、現場に立てば理解できた。
見出し④:銀行交渉から経理処理まで。経営の「表と裏」を体験した日々
日本に戻ってから、僕の肩には経理という役割も乗っかった。売上、仕入れ、振込、資金繰り、全てを数字で管理する世界。特に大きかったのが、銀行とのやり取りだった。
ある日、ボスに言われた。「来月の支払い、どうにか延ばせないか」。そこから始まるのが“交渉”だった。銀行に対して、「売上は今こうなっていて、来月にはこの案件が入ってくる見込みです」とプレゼンするように話す。
その際に重要なのは、信用と数字。言葉の選び方や資料の出し方ひとつで、銀行の態度が変わる。「現場で何が起きてるのか」を知っているからこそ、“経理の数字”に説得力が出る。そう実感した瞬間だった。
見出し⑤:半年の“やりがい”と“裏切り”。僕がこの職場を去った理由
多忙ながらも、僕はそれなりにやりがいを感じていた。ベトナムでは味わえなかった「日本の流通の最前線」に立てたことで、得られた経験は大きかった。
しかし、ある日すべてが崩れた。社内で明らかな金銭トラブルが発覚。その中心にいたのは、なんと同じ倉庫で働いていた“信頼していた同僚”だった。彼が現金や在庫を操作していた疑いが浮上。事実、その後倉庫内でも複数の人とトラブルを起こし、最終的に解雇されることに。
僕はその一連の流れで、「もうこの人たちとは関わりたくない」と思った。信頼が土台であるはずの職場で、それが崩れる瞬間を見たとき、自分の中で何かが切れた。たった半年。でも、すべてが詰まった半年間だった。
まとめ:半年間の怒涛の経験が、僕の“その後”の起業に生きた
物流、営業、経理、交渉、トラブル──。 半年間という短い時間に、これだけの経験を詰め込めたのは、ある意味で幸運だったのかもしれない。大変だった。でも、今の自分のビジネスには、この時のすべてが詰まっている。
特に“誰と働くか”の大切さは、この時に痛感した。能力よりも誠実さ。スキルよりも信頼関係。ビジネスの本質は、最後は「人」だ。
この経験を、今後のあなたの選択や判断の一助になればと思い、ここに残す。